橋岡久太郎(はしおかきゅうたろう)
能楽師シテ方観世流[日本]
1963年 9月15日 死去享年80歳
橋岡 久太郎(はしおか きゅうたろう、1884年7月12日 - 1963年9月15日)は、能楽師シテ方、日本藝術院会員。
香川県出身。
旧姓は乃村。
1898年(明治31年)大阪の観世流シテ方橋岡雅雪の後継者となる。
のち上京し23代宗家観世清廉に師事。
独立後、2代梅若実、観世華雪とともに観世流の発展に尽くした。
能の形式主義、権威主義に対し反骨精神を貫き、脱俗の風で知られた。
難声で、舞台の謡が聞こえぬほどであったが、リズム感には独自の主張があった。
京劇の梅蘭芳との交流でも知られる。
1952年芸術祭賞、1959年度芸術選奨。
1961年日本芸術院賞受賞、1963年日本芸術院会員。
淡交会主催。
長男は橋岡久馬(久馬の長男が橋岡久太郎を襲名(重要無形文化財保持者(総合認定)))、二男は橋岡久共(のちに橋岡慈観に改名)。
橋岡久太郎が亡くなってから、61年と68日が経過しました。(22348日)