毛綱毅曠 氏(もづなきこう)
建築家[日本]
2001年 9月2日 死去享年61歳
毛綱 毅曠(もづな きこう、本名:毛綱 一裕、1941年(昭和16年)11月14日 - 2001年(平成13年)9月2日)は、日本の建築家。
日本建築学会賞作品賞など多数受賞。
概要=
初期に毛綱モン太(もづなもんた)と名乗っていたが「毅曠」に改名。
1970年代の日本の前衛建築の先鋒の観が有ったとされる。
「阿弥陀から弥勒への七つのメッセージ』という九枚のパネルを発表し、世界的にも有名となった。
経歴=
伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。
人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。
(2020年6月)
釧路市立博物館 / 1984
1941年 北海道釧路市生まれ。
1965年 神戸大学工学部建築学科卒業、同大学向井正也の助手。
1978年 戸籍名を毛綱毅曠に変更。
毛綱毅曠建築事務所を設立。
1985年 釧路市立博物館で日本建築学会賞受賞。
1990年 商環境デザイン賞特別賞受賞。
1991年 都市景観大賞受賞。
1992年 イギリス出版賞受賞、日本建築美術工芸賞受賞。
1993年 商環境デザイン賞特別賞受賞。
1994年 メキシコ・アグアスカリエンテス市建築賞受賞。
1995年 多摩美術大学美術学部建築学科教授。
2001年 永眠。
作品と設計手法=
彼の設計は、「機能」というものに挑戦的であった。
例えば、初期の代表作「反住器」は8m角の立方体(建築本体)のなかに4m角の立方体(部屋)が有り、その中に1.7m角の立方体(家具)が有り ……
毛綱毅曠さんが亡くなってから、23年と80日が経ちました。(8481日)