原貢 氏(はらみつぐ)
元アマチュア野球監督[日本]
2014年 5月29日 死去心不全享年79歳
原 貢(はら みつぐ、1936年〈昭和11年〉3月30日 - 2014年〈平成26年〉5月29日)は、佐賀県神埼郡三田川町(現:吉野ヶ里町)出身のアマチュア野球監督・社会人野球選手。
東海大学硬式野球部名誉総監督。
長男は元プロ野球選手・監督の原辰徳。
孫(長女の長男)はプロ野球選手の菅野智之。
来歴=
佐賀県立鳥栖工業高校卒業、立命館大学中退。
社会人野球の東洋高圧大牟田を経て、福岡県立三池工業高等学校野球部監督に就任。
1965年に無名校を初出場にして夏の甲子園大会の優勝へと導き、三池工フィーバーを起こした。
その後、三池工での戦いぶりと原の生き様に感銘を受けた東海大学の創設者:総長松前重義の招きで1966年12月9日に大牟田を発ち、翌10日に神奈川県着。
同日から東海大学付属相模高等学校野球部監督に就任。
東海大相模の名を全国に轟かせ、神奈川高校野球界の勢力図を塗り替える。
1976年11月16日に翌1977年より長男:辰徳の進学と共に東海大学硬式野球部監督に就任することが発表された。
首都大学リーグ7連覇を達成。
辰徳が読売ジャイアンツ入りすることが決まった直後の1980年12月19日に東海大相模監督に復帰した。
1984年から東海大学系列校野球部総監督。
1990年春から東海大監督に復帰、6度のリーグ優勝に導き、1996年10月29日に勇退を表明した。
以降は再び東海大学系列校野球部総監督だった。
2014年5月4日に心筋梗塞のため、神奈川県内の病院に入院した。
原貢さんが亡くなってから、10年と176日が経ちました。(3829日)