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九條今日子 氏(くじょうきょうこ)

演劇・映画プロデューサー[日本]

2014年 4月30日 死去食道静脈瘤破裂享年80歳

九條 今日子(くじょう きょうこ、1935年10月22日 - 2014年4月30日)は、日本の女優、演劇、映画プロデューサー。
東京都麻布出身。
女優時代の芸名は九条映子(九條映子)。
本名:寺山 映子(てらやま えいこ)。
1963年から1970年まで寺山修司と婚姻関係にあった。
人物= 三輪田学園中学校・高等学校卒業後、九条映子の名で松竹歌劇団の舞台でデビュー。
その後、松竹映画に移り、野村芳太郎監督の映画『黄色いさくらんぼ』(1960年)などに出演した。
1963年4月寺山修司と結婚、引退。
主婦業中心の生活となり、しばらく芸能界から遠ざかる。
1967年に寺山修司、横尾忠則らが「演劇実験室・天井桟敷」を創立し、九條は製作を担当。
また、映画の製作も行った。
1970年に寺山と離婚した(但し、寺山の姓のまま)。
1983年に寺山が死去した後は、寺山作品の著作権管理を担当し、全国各地で講演を行った。
近年では2009年に弘前学院大学で講演を行った。
有限会社テラヤマ・ワールドの代表取締役を務めた。
三沢市寺山修司記念館名誉館長。
三沢市観光大使。
2014年4月30日、肝硬変による食道静脈瘤破裂のため東京都内の自宅で死去。
78歳没。
映画= 有楽町0番地(1958年、松竹) - 出演 明日をつくる少女(1958年、松竹) - 出演 新家庭問答(1958年、松竹) - 出演 顔役(1958年、松竹) - 出演 花嫁の抵抗(1958年、松竹) - 出演 悪女の季節(1958年、松竹) - 出演 体当りすれすれ娘( ……

九條今日子さんが亡くなってから、10年と205日が経ちました。(3858日)

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