辻本史邑(つじもとしゆう)
書家[日本]
1957年 12月22日 死去享年63歳
辻本 史邑(つじもと しゆう、明治28年(1895年)5月3日 - 昭和32年(1957年)12月22日)は、奈良県出身の書家。
名は勝巳、字は士礼といい、史邑は号、別号に寧楽庵主人、江村がある。
業績=
書は各体ともによく、清朝の書風に傾倒した艶麗な作品を数多く残した。
日本書芸院の設立に力を注ぎ、寧楽書道会を興して雑誌『書鑑』を発行、また、『昭和新撰碑法帖大観』(全36冊)を発行して古典の普及を図るなど、戦前戦後にかけて後進の指導に果たした功績は大きく、関西書壇の興隆に貢献した。
大阪市立東洋陶磁美術館前にある関市長顕彰碑は史邑の書による。
門弟
今井凌雪、村上三島、辻本翔鶴、原田観峰、辻本九華、谷辺橘南、広津雲仙、岡本松堂、森田翠香などの人材を育成した。
略歴=
吉田熊吉の二男として生まれ、のち、辻本家を継いだ。
幼い頃、書を桑山兼山に学び、大正4年(1915年、20歳)奈良師範学校を卒業後、付属小学校訓導となる。
3年後、文検(文部省教員検定試験)習字科に合格し、奈良師範学校、県立奈良中学校の教諭となるが、昭和3年(1928年、34歳)教職を辞め、書道研究に専念した。
近藤雪竹、中村春堂、井原雲涯、丹羽海鶴、山本竟山、比田井天来、尾上柴舟に書を学び、日展参事、日本書道連盟関西総支部長、日本書芸院会長などを歴任。
昭和28年(1953年、58歳)日本芸術院賞を受賞した。
年譜=
1895年、奈良県磯城郡に生まれる。
1915年、奈良師範学校 ……
辻本史邑が亡くなってから、66年と334日が経過しました。(24441日)