ラディスラオ・マズルケビッチ 氏Ladislao Mazurkiewicz
元男子サッカー選手・GK[ウルグアイ]
2013年 1月2日 死去享年69歳
ラディスラオ・マズルケビッチ(Ladislao Mazurkiewicz, 1945年2月14日 - 2013年1月2日)は、ウルグアイ・マルドナド県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
元ウルグアイ代表。
ポジションはゴールキーパー。
ポーランド系ウルグアイ人。
1960年代から1970年代の南米を代表するゴールキーパー、あるいはウルグアイサッカー史上最高のゴールキーパーの一人と評されている。
経歴=
クラブ=
マズルケビッチはポーランド出身の父とスペイン出身の母との間に生まれた。
モンテビデオ郊外のラシン・クラブ・デ・モンテビデオで育ち、当初はディフェンダーを務めていたがクラブの幹部から不適格と見做され、15歳の時にゴールキーパーへ転向した。
また、少年時代にはサッカーのほかにバスケットボールの選手を務めており、サッカーよりもバスケットボールに傾倒した時期もあったが、この経験がキーパーに必要な敏捷性やジャンプ力をもたらした。
キーパーに転向後すぐに頭角を現し、1963年にラシンとプロ契約を結ぶと、1965年にCAペニャロールへ移籍した。
当初はルイス・マイダナが正キーパーを務めていたが、同年に行われたコパ・リベルタドーレス準決勝のサントスFC戦からポジションを獲得。
1966年の同大会決勝ではアルゼンチンのCAリーベル・プレートを下して優勝、さらにインターコンチネンタルカップではスペインのレアル・マドリードを相手に無失点に抑えて優勝に貢献した。
また、1968年 ……
ラディスラオ・マズルケビッチさんが亡くなってから、11年と323日が経ちました。(4341日)