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浜口義曠 氏(はまぐちよしひろ)

元JRA理事長[日本]

2021年 8月31日 死去享年89歳

浜口 義曠(はまぐち よしひろ、1933年9月2日 - 2021年8月31日)は、日本の農林水産官僚。
元大臣官房長、食糧庁長官、農林水産事務次官。
コメ行政に携わり、ウルグアイ・ラウンドにおける交渉にはコメ開放に反対する立場で取り組んだ。
退官後は日本中央競馬会理事長などを務めた。
長崎県出身。
東京大学法学部卒業。
経歴・業績= 1933年、長崎県長崎市生まれ。
終戦まで中華人民共和国の上海市で育つ。
長崎県立長崎東高等学校を経て、1958年に東京大学法学部を卒業後、農林省(現:農林水産省)入省。
入省同期には浜口の後任として事務次官を務めることとなる京谷昭夫がいる。
経済局金融課長、大臣官房総務課長、大臣官房秘書課長、農蚕園芸局長、大臣官房長などを経て、1989年食糧庁長官に就任し、コメ行政に中心人物として携わった。
在任中、食糧管理法で定められた正規のルートによらない「自由米」の取り締まり強化に取り組んだ。
また、1991年3月に行われた国際食品・飲料展において、アメリカの農業団体が自国産米を展示したことは食糧管理法に違反するとして撤去を求め、外務省ルートでもアメリカ側に働きかけるよう松浦晃一郎(当時北米局長)に要請した。
こうした強硬な対応は物議をかもしたが、浜口は「(日本人にとって)コメは小さな宗教のようなもの」と考えており、「淡々と処理しただけ」としている。
1991年8月に事務次官就任。
当時、貿易自由化を ……

浜口義曠さんが亡くなってから、3年と82日が経ちました。(1178日)