芦田行雄 氏(あしだゆきお)
郷土史家[日本]
(あかごめ学校主宰者)
2012年 8月12日 死去肺がん享年88歳
芦田 行雄(あしだ ゆきお、1925年(大正14年)- 2012年(平成24年)8月12日)は、京都府京丹後市の郷土史家。
細川忠興夫人・ガラシャの味土野隠棲資料の研究や、古代米の復活栽培を実現し、全国に普及させたことで知られる。
芦田が郷里の京丹後市弥栄町和田野に建築した家「古与曾」は、芦田の没後も地域の様々なコミュニティ活動の拠点となっている。
生涯=
細川忠興夫人隠棲地の石碑
1925年(大正14年)に京都府竹野郡鳥取村和田野(現・京丹後市弥栄町和田野)に生まれる。
2012年に死去するまで、生涯を郷土において研究を続け、弥栄町文化財保護委員会設立に参画し、委員会会長を14年務めた。
また、弥栄町文化協会を設立、20年以上にわたり会長を務めた。
味土野讃歌=
婦人会の役員をしていた母が細川ガラシャの隠棲地碑を味土野に建立する活動に関わっていたことから、小学6年生の頃に細川ガラシャについて知り、1955年(昭和30年)頃に初めて味土野を訪れた際、史実を保存する重要性を痛感した。
以来、郷土に残る細川ガラシャの資料や口伝の収集に努め、来訪者のための案内パンフレットを作成したり、現地ガイドを行う。
細川ガラシャの味土野幽閉400年にあたるとみられる1982年(昭和57年)には、1935年(昭和10年)に行待迪が刊行した冊子『細川忠興夫人』に補筆し、関係写真などを加えた『増補 細川忠興夫人』を刊行。
2000年(平成12年)11月、その研究の集大成となる『味土野 ……
芦田行雄さんが亡くなってから、12年と101日が経ちました。(4484日)