土井勝 氏(どいまさる)
料理研究家[日本]
1995年 3月7日 死去肝臓がん享年75歳
土井 勝(どい まさる、1921年1月5日 - 1995年3月7日)は、日本の料理研究家。
香川県高松市出身。
生涯=
香川県高松市で姉三人がいる家庭に長男として生まれる。
生後間もなく父が他界し母子家庭で育つ。
小学校三年生のとき一家で大阪府へ移住。
14歳で大阪市堂島の割烹学院に入学し、卒業後は助手として残る。
同時期には大阪市立栄養研究所でも聴講生として学びつつ、短距離走の有力候補としてオリンピック出場を目指してもいた。
1936年ベルリンオリンピックのニュースを見聞したことで1940年東京オリンピックの出場を目指す気持ちが芽生え、大阪アスレチッククラブに所属してトレーニングに励み(東京オリンピックの返上後は代替となったヘルシンキオリンピック、さらにそれも中止となった後はその次を目指した)、1939年からは3年連続して明治神宮競技大会に出場、1941年の大会では「青少年の部」の100mに優勝した。
1942年の徴兵検査後に大阪市から2名選出される名誉な近衛兵に推薦されるが、料理への情熱から海軍主計科の衣糧科を志願。
上海陸戦隊本部付となり前線配置を願い出るが、出発直前に海軍経理学校普通科の合格通知が届き帰京を命じられる(出発した陸戦隊部隊はタラワの戦いで全員玉砕)。
海軍経理学校では長期の海上生活に備えた艦内での納豆・豆腐の製造や、上陸後の牛・豚の飼育からハム・ソーセージへの加工など、実習によって料理を根本から学ぶ。
また航 ……
土井勝さんが亡くなってから、29年と260日が経ちました。(10852日)