深瀬昌久 氏(ふかせまさひさ)
写真家[日本]
2012年 6月9日 死去脳出血享年79歳
深瀬 昌久(ふかせ まさひさ、本名・よしひさ、1934年2月25日 - 2012年6月9日)は、日本の写真家。
北海道中川郡美深町生まれ。
写真表現を通して「私性」と「遊戯」を追求した写真家として知られる。
人物=
1908年に祖父・庸光が美深町に創設した深瀬写真館の長男として誕生したため、3代目跡継ぎとして期待された。
6歳になるとプリント水洗の仕事を手伝わされ、外に遊びにいきたい気持ちをじっと我慢しながら従事したという。
深瀬はのちに「私の写真への怨恨はたぶんこのころ芽生えたものであろう」と記すほどであった。
日本大学芸術学部写真学科に入学するために上京し、その後は東京の広告会社である第一宣伝社に就職。
これをきっかけに写真家としての道を歩むこととなり、深瀬写真館は後に弟の了暉が継ぐことになる。
この時のことを深瀬が自ら「写真師と写真家の岐路になった」と振り返ったように、その後のキャリアは写真館を経営する写真技師ではなく写真表現を主体とする写真家を目指すものとなっていった。
1964年、日本デザインセンターに転職。
前年に出会った鰐部洋子と結婚。
1967年に日本デザインセンターから河出書房新社に転職し、写真部長に就任。
しかしすぐに会社が倒産したことをきっかけに、1968年にフリーランスへと転身した。
以降は写真作家としてカメラ雑誌を中心とした雑誌媒体に精力的に作品を発表していった。
深瀬は自分自身の家族やカラ ……
深瀬 昌久氏(ふかせ・まさひさ、本名昌久=よしひさ=写真家)9日、脳出血のため東京都多摩市の老人施設で死去、78歳。北海道出身。 出版社などに勤務しながら1960年代に作品を発表し始め、68年フリー。家族や自身の内面に肉薄する「私性」にこだわった作風で注目を集めた。主な写真集に「洋子」「鴉(からす)」。92年に転落事故に遭い、療養生活を送っていた。
深瀬昌久さんが亡くなってから、12年と165日が経ちました。(4548日)