石黒昇 氏(いしぐろのぼる)
アニメーション監督[日本]
2012年 3月20日 死去享年75歳
石黒 昇(いしぐろ のぼる、1938年8月24日 - 2012年3月20日)は、東京都出身の日本のアニメ監督、演出家、アニメーター。
アニメ制作会社アートランドの創業者であり、死去時には会社分割によって新設されたアニメーションスタジオ・アートランドの取締役会長であった。
また、代々木アニメーション学院の講師も務めていた。
来歴=
小学生時代、手塚治虫の『新宝島』に魅了されて漫画を描き始め、高校3年生の頃(1956年)に『宇宙の放浪児』(石黒昇流名義、新生漫画社刊)で貸本漫画家としてデビュー。
若木書房の短編誌『迷路』などに「ダイヤモンド小僧の冒険」シリーズやSF作品を発表していた。
その一方で、中学3年生の頃に見たミュージカル映画『錨を上げて』で映画の面白さに目覚め、高校時代は映画漬けの日々を送る。
1957年に日本大学芸術学部映画学科に入学。
当時、遠藤政治、つげ義春、永島慎二らと親交を持ちながら漫画家として活動を続けていたが、その頃に起こった劇画ブームによって貸本漫画が衰退し始めたことや自身のスランプにより、漫画家への道を断念。
漫画家生活に見切りをつけると、今度は仲間たちとハワイアンバンドを結成し、キャバレー回りを始めた。
一方、アニメーターの上梨壱也(現・上梨一也)と知り合ったことで刺激を受け、大学では仲間たちと8mmフィルムで切り抜きアニメを自主制作する。
また憧れの人物だった手塚治虫の虫プロダクションが大学 ……
石黒 昇氏(いしぐろ・のぼる=アニメーション監督)20日午後5時45分、川崎市の病院で死去、73歳。東京都出身。葬儀は近親者で行う。喪主は妻由美(ゆみ)さん。 「宇宙戦艦ヤマト」の演出を手掛け、「超時空要塞マクロス」「メガゾーン23」「銀河英雄伝説」などの制作に参加した。
石黒昇さんが亡くなってから、12年と246日が経ちました。(4629日)