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浜口陽三 氏(はまぐちようぞう)

画家[日本]

2000年 12月25日 死去享年92歳

浜口陽三 - ウィキペディアより引用

浜口 陽三(はまぐち ようぞう、1909年4月5日 - 2000年12月25日)は、和歌山県有田郡広村(現・有田郡広川町)出身の版画家。
銅版画の一種であるメゾチントを復興し、カラーメゾチント技法の開拓者となった。
同じく版画家の南桂子は妻。
本名は濱口 陽三(はまぐち ようぞう)だが、筆名としては新字体の「浜」を用いていた。
経歴[編集] 濱口儀兵衛家[編集] 1909年(明治42年)4月5日、和歌山県有田郡広村(現・有田郡広川町)に生まれた。
生家の濱口儀兵衛家はヤマサ醤油の創業家であり、陽三は濱口梧洞(10代目濱口儀兵衛)の三男である。
幼少時に一家で千葉県銚子市に転居した。
戦前の活動[編集] 東京美術学校(現・東京藝術大学)では彫刻科塑造部に入学したが、2年で退学しパリへ渡航した。
パリ滞在中の1937年(昭和12年)頃からドライポイント(銅板に直接針で図柄を描く、銅版画技法の一種)の制作を試み、版画家への一歩を記し始めた。
戦時色の濃くなる中、1939年(昭和14年)に日本に帰国。
自由美術家協会に創立会員として参加するが、戦時下にはなかなか作品発表の場が無かった。
1942年(昭和17年)には経済視察団の通訳として仏領インドシナ(ベトナム)に渡航し、1945年(昭和20年)帰国している。
戦後の活動[編集] 浜口が本格的に版画の制作を始めるのは、第二次世界大戦後の1950年(昭和25年)前後、40歳頃のことであった。
1953年(昭和28年)には再度渡仏し、以 ……

推定関連画像

浜口陽三さんが亡くなってから、23年と214日が経ちました。(8615日)

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