黄昭堂 氏(こうしょうどう)
政治活動家[日本]
2011年 11月17日 死去大動脈乖離享年80歳
黄 昭堂(こう しょうどう、1932年9月21日 - 2011年11月17日)は、台湾の政治活動家。
台湾独立建國聯盟主席、昭和大学名誉教授。
略歴=
日本統治時代の台湾台南州(後の台南県、現在の台南市)生まれ。
台湾大学法学部卒業後、1958年に東京大学大学院へ留学し社会学博士を取得。
聖心女子大学、東京大学講師を経て、1976年から昭和大学の政治学教授となり、1998年まで務めた。
1992年、34年ぶりに台湾へ戻り、1995年には台湾独立建国連盟主席に就任した。
2011年11月17日、動脈剥離のため台北市内の病院で死去。
79歳没。
主な著書=
単著=
『台湾民主国の研究 : 台湾独立運動史の一断章』東京大学出版会、1970年7月10日。
NDLJP:12182510。
台湾総督府(教育社歴史新書、1981年/ちくま学芸文庫 、2019年)、ISBN 978-4-480-09932-7
台湾・爆発力の秘密(祥伝社ノンブック新書、1988年)
滅亡へ直進する中国 中国人は共産主義が大嫌いだ(祥伝社ノンブック新書、1990年)
台湾独立建国運動の指導者 黄昭堂(宗像隆幸・趙天徳編訳、自由社、2013年)
共著=
大中華主義はアジアを幸福にしない(金美齢との対話、草思社、1997年)、ISBN 978-4794207630
続・運命共同体としての日本と台湾―アジアを覆う中国の影(早稲田出版、2005年)、ISBN 978-4898273098
台湾の法的地位(彭明敏、東京大学出版会、1976年)
黄 昭堂氏(昭和大名誉教授、台湾独立建国連盟主席)17日、大動脈乖離(かいり)のため台北市内の病院で死去、79歳。 日本統治下の台湾・台南生まれ。台湾大卒業後、58年に日本へ渡り、昭和大などで教壇に立つ傍ら、日本での台湾独立運動を主導した。国民党独裁政権下で台湾に戻ることが許されなかったが、李登輝総統時代の92年、34年ぶりに台湾へ戻った。95年から台湾独立建国連盟主席を務めた。(台北時事)(2011/11/17-18:29)
黄昭堂さんが亡くなってから、13年と5日が経ちました。(4753日)