真田雅則 氏(さなだまさのり)
元男子サッカー選手、コーチ[日本]
(Jリーグ創設期からキーパーとして活躍)
2011年 9月6日 死去急性心不全享年44歳
真田 雅則(さなだ まさのり、1968年3月6日 - 2011年9月6日)は、日本の元サッカー選手・サッカー指導者。
選手時代のポジションはゴールキーパー。
JFA公認A級指導者ライセンス所持。
静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身。
本来の表記は眞田 雅則。
来歴=
清水商業高等学校(3年時の主将は江尻篤彦)や順天堂大学時代には全国制覇を経験。
甘いマスクで当時から女性に人気があった。
若い年代のカテゴリーから日本代表に選出され、1988年からは国際Cマッチ5試合に出場した。
1990年に全日空に加入、1992年に地元である清水市(静岡市清水区)に新規発足したJリーグクラブの清水エスパルスに移籍し、同年のJリーグカップでは正ゴールキーパーに就く。
1993年にはサントリーシリーズではレギュラーとして出場したものの立て続けにミスを犯し、NICOSシリーズになって登録されたシジマールにポジションを奪われるが、1994年の途中からは外国人枠の関係でレギュラーに返り咲く。
その後12年間でリーグ戦243試合に出場した。
2004年シーズン限りで現役を引退。
同年の最終節に途中出場予定だったが、結局出場することはなかった。
2005年からは指導者となり、清水エスパルスユースのGKコーチに就任。
2008年シーズンからはジェフユナイテッド市原・千葉トップチームのGKコーチを務めたが、2011年には清水に復帰した。
2011年9月2日をもって体調不良により一時休養すると発表されたが、その4日 ……
真田雅則さんが亡くなってから、13年と77日が経ちました。(4825日)