酒井田柿右衛門(さかいだかきえもん)
陶芸家・12代目[日本]
1963年 3月7日 死去享年86歳
酒井田 柿右衛門(さかいだ かきえもん、初代:1596年11月15日〈慶長元年9月25日〉 - 1666年7月20日〈寛文6年6月19日〉)は、江戸時代、肥前国(佐賀県)有田の陶芸家、および代々その子孫(後継者)が襲名する名称。
本名を改名して襲名している。
2022年11月現在、第15代酒井田柿右衛門(1968年 - 、旧名:浩(ひろし)、2014年に襲名)が当代である。
歴史=
朝鮮陶工の李参平により良質の陶土が発見されたため現在の佐賀県西松浦郡有田町に移住した酒井田円西は、息子である喜三右衛門とともに陶器や白磁、染付などの磁器を製作していたが、やがて17世紀前半に喜三右衛門は赤絵磁器の焼成に成功し、柿右衛門を名乗った。
初代は乳白色(濁手)の地肌に赤色系の上絵を焼き付けるという柿右衛門様式(後述)と呼ばれる磁器の作風を確立し、その作品はヨーロッパなどにも輸出されマイセン窯などでは模倣品も作られた。
また、磁器の発祥地である中国の景徳鎮窯にも影響を与え(景徳鎮伊万里)、同様の作品が作られやはりヨーロッパに輸出された。
1666年に没した初代、その息子である二代(1620年 - 1661年)、二代の弟の三代(1622年 - 1672年)は製作期が重なっており、作風にも大きな差は見られない。
また、三者とも極めて技量が高かったと言われる。
これに加えて四代(三代の息子、1640年 - 1679年)までの間が初期柿右衛門とされる。
続く17世紀後半から18世紀前半にかけての約90年間、五代(1660 ……
酒井田柿右衛門が亡くなってから、61年と222日が経過しました。(22502日)