酒井田柿右衛門(さかいだかきえもん)
陶芸家・12代目[日本]
1963年 3月7日 死去享年86歳
酒井田 柿右衛門(さかいだ かきえもん、初代:1596年11月15日〈慶長元年9月25日〉 - 1666年7月20日〈寛文6年6月19日〉)は、江戸時代、肥前国(佐賀県)有田の陶芸家、および代々その子孫(後継者)が襲名する名称。
本名を改名して襲名している。
歴史=
酒井田家は、室町時代に酒井田(現 福岡県八女市)に移住した豪族で、1582年(天正10年)に酒井田弥次郎が龍造寺氏の人質として、竜王(現 佐賀県杵島郡白石郡)に移住したとされる。
この弥次郎が初代柿右衛門を名乗った人物だと推測されている。
初代柿右衛門は、1674年(正保4年)以前に白磁胎上絵付方法(赤絵)の焼成に成功し、柿右衛門様式(後述)と呼ばれる磁器の作風を確立した。
また、金銀の上絵付法を工夫して伊万里焼の発展に貢献し、その作品を長崎でオランダ人に販売した。
そのため、初代柿右衛門の作品はヨーロッパなどにも輸出され、マイセン窯などでは模倣品も作られた。
磁器の発祥地である中国の景徳鎮窯にも影響を与え(景徳鎮伊万里)、同地でも類似の作品が作られ、ヨーロッパに輸出された。
1660年代に入ると、ヨーロッパに輸出するための陶磁器生産がはじまり、3代目柿右衛門はこの事業に参画することで大いに隆盛した。
1670年代に入ると、濁手と呼ばれる乳白色の素地に繊細な色付けを施す柿右衛門様式が確立する。
初代柿右衛門の息子である二代、二代の弟の三代は製作期が重なっており、作風にも大きな ……
酒井田柿右衛門が亡くなってから、61年と260日が経過しました。(22540日)