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山岸紀郎 氏(やまぎしのりお)

元日本バレーボール協会専務理事[日本]

(初代Vリーグ機構会長)

2011年 7月15日 死去胆管がん享年69歳

山岸 紀郎(やまぎし のりお、1943年2月11日 - 2011年7月15日)は、日本の元バレーボール審判員、日本バレーボール協会専務理事、初代Vリーグ機構代表理事(会長)。
人物= 日本体育大学出身。
日本人として初めて国際バレーボール連盟のFIVB公認レフリーとなり、1986年の世界選手権の男子決勝の主審を務めたほか、1988年と1992年のオリンピックでも国際審判団の一員として参加した。
一方日本国内では、1995年4月より日本バレーボール協会の理事、専務理事や日本バレーボールリーグ機構の代表理事(会長)などを歴任した。
また日本におけるビーチバレー生みの親とも言われ、1996年のアトランタオリンピックではビーチバレー日本男子代表監督を務めた。
また、立教新座高等学校教諭としてバレーボールの指導も行っていた。
その為、立教大学体育会バレーボール部OB会の特別会員でもあった。
2011年7月15日、胆管がんのために死去。
68歳没。
著書= 『詳解 6人制バレーボールのルール―ルールの解説と審判法』 山岸、河村俊彦、佐々木宏共著 監修:砂田孝士 発行:大修館書店 1990年7月10日発行 ISBN 4-469-26185-8 『詳解 9人制バレーボールのルール―ルールの解説と審判法』 山岸、志村栄一共著 発行:大修館書店 1990年7月10日発行 ISBN 4-469-26186-6

山岸 紀郎氏(やまぎし・のりお=元日本バレーボール協会専務理事)15日午前5時10分、胆管がんのため東京都内の病院で死去、68歳。東京都出身。葬儀は18日午後1時から東京都品川区旗の台6の22の24の三光教会で。喪主は妻征子(まさこ)さん。 日本初の国際審判員となり、88年ソウル、92年バルセロナ五輪に参加。04年から専務理事などを務めた。(2011/07/15-18:14)

山岸紀郎さんが亡くなってから、13年と130日が経ちました。(4878日)