高橋俊昌 氏(たかはしとしまさ)
「週刊少年ジャンプ」編集長[日本]
2003年 1月24日 死去くも膜下出血享年46歳
高橋 俊昌(たかはし としまさ、1958年8月7日 - 2003年1月24日)は、集英社に所属していた漫画雑誌編集者。
同社発刊の少年雑誌『週刊少年ジャンプ』第7代編集長。
大分県出身。
来歴=
1981年(昭和56年)に早稲田大学を卒業し集英社に入社、『週刊少年ジャンプ』編集部へ配属される。
当時の編集長西村繁男の方針である硬派路線に反し、美少女を描けるまつもと泉、富沢順、萩原一至、黒岩よしひろ、冨樫義博などの作家を発掘した。
1992年に鳥嶋和彦とともに『Vジャンプ』創刊に携わる。
その後、鳥嶋の『週刊少年ジャンプ』の編集長就任とともにジャンプ編集部に復帰。
2001年、同誌編集長に昇格。
連載作品のメディアミックスを精力的に推し進め、発行部数で『週刊少年マガジン』を再逆転し、『週刊少年ジャンプ』を首位の座に返り咲かせた。
2003年(平成15年)1月24日、午後3時から東京湾内のクルーズ客船「シンフォニーモデルナ」号上で催された同誌『ONE PIECE』のアニメ映画作品『ONE PIECE THE MOVIE デッドエンドの冒険』の製作発表会見に出席した際、その席上で突然倒れる。
そのまま会見は中止されて急遽帰港、救急車で聖路加国際病院に搬送されたものの同日午後4時51分に死去。
死因はクモ膜下出血であった。
後日の2003年1月30日、代々幡斎場にてお別れの会が開かれた。
編集長急死という事態に伴い、『週刊少年ジャンプ』2003年11号は巻末に目次頁をとって追悼の記事を掲載。
集 ……
高橋俊昌さんが亡くなってから、21年と315日が経ちました。(7985日)