宝暦5年生まれ。住吉派の板谷慶舟の長男。住吉広守の養子となり、天明元年幕府の御用絵師となる。寛政の内裏新造にあたって、紫宸殿の賢聖障子などを描いた。文化8年8月6日死去。57歳。通称は内記。号は景金園。著作に「御屏風之記」など。(参照元・講談社 デジタル版 日本人名大辞典+Plus)
住吉廣行が亡くなってから、213年と59日が経過しました。(77857日)