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有坂成章(ありさかなりあきら)

陸軍中将、男爵[日本]

1915年 1月12日 死去享年64歳

有坂成章 - ウィキペディアより引用

有坂 成章(ありさか なりあきら、1852年4月5日〈嘉永5年2月18日〉 - 1915年〈大正4年〉1月12日)は、日本の陸軍軍人、華族。
最終階級は陸軍中将。
爵位は男爵。
別名に淳蔵。
大日本帝国陸軍の国産小銃である有坂銃の開発者であり、村田経芳に次いで銃砲開発の大家と謳われた人物である。
経歴[編集] 周防国岩国に生まれた、長州藩(岩国領)吉川家家臣の木部左門の二男、幼名を四郎という。
文久2年(1862年)、11歳で同藩の砲術家有坂長良の養嗣子となった。
岩国藩の洋式軍隊である日新隊の一員として、鳥羽・伏見の戦いに参加している。
明治維新後の明治2年(1869年)開成学校で学んだ後、明治3年(1870年)には陸軍兵学寮に入る。
明治6年(1873年)6月中退し同校の語学専業生(通訳)となり、同年12月には教官となる。
翌年造兵司(後の東京砲兵工廠)出仕。
明治15年文官から転じて陸軍砲兵大尉となる。
沿岸要塞が専門であったが明治23年(1890年)には砲兵会議審査官に任じられその後は新型野砲の開発に従事した(同年には村田銃の開発で著名な村田経芳少将が予備役編入されている)。
明治29年(1896年)6月、東京砲兵工廠長となる。
その後3ヶ月程度の短期間にて三十年式歩兵銃の設計試作を行い、翌々年の明治31年2月にそれまで使われていた村田連発銃に代わる初の陸軍制式小銃として採用された。
明治31年(1898年)には三十一年式速射砲の開発に成功した。
この砲は「有 ……

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