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村瀬継蔵 氏(むらせけいぞう)

造形物製作者[日本]

(怪獣などの着ぐるみを数多く製作した。)

2024年 10月14日 死去肝硬変享年90歳

村瀬 継蔵(むらせ けいぞう[出典 1]、1935年〈昭和10年〉[出典 2]10月5日 - 2024年〈令和6年〉10月14日)は、怪獣などのぬいぐるみ(着ぐるみ)、造形物製作者。
造形美術会社「有限会社ツエニー」会長。
北海道池田町出身[出典 4]。
瑞穂町を拠点に活動している。
経歴= 23歳で上京して1957年(昭和32年)にアルバイトとして東宝の特殊美術に参加し、1958年(昭和33年)に東宝へ正式に入社すると、同年の『大怪獣バラン』や、1963年(昭和38年)の『マタンゴ』などの着ぐるみ造形を助手として手がける[出典 5]。
1965年(昭和40年)には、知人の劇団へ移籍するという形で五社協定を乗り越え、大映初の怪獣映画となる『大怪獣ガメラ』も手がけた。
この仕事をきっかけに東宝から独立してエキスプロダクションの設立に参加し[出典 6]、テレビの『快獣ブースカ』や『キャプテンウルトラ』などを担当した後、1967年(昭和42年)には韓国初の怪獣映画『大怪獣ヨンガリ』、1969年(昭和44年)には台湾映画『乾坤三決斗』の造形も手がけている。
1970年(昭和45年)に開催された日本万国博覧会では、テーマ館「太陽の塔」の内部に建つ「生命の樹」に取りつけられた恐竜を、円谷英二の紹介でいくつか手がけている。
1972年(昭和47年)にはエキスプロから独立し、造形美術会社「ツエニー」を設立[出典 7]。
折からの変身怪獣ブームに伴い、『仮面ライダー』『超人バロム・1』『 ……

村瀬継蔵さんが亡くなってから、11日が経ちました。

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