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赤松良子 氏(あかまつりょうこ)

官僚、政治家[日本]

(日本ユニセフ協会会長)

2024年 2月6日 死去享年96歳

赤松良子 - ウィキペディアより引用

赤松 良子(あかまつ りょうこ、1929年〈昭和4年〉8月24日 - 2024年〈令和6年〉2月6日)は、日本の労働官僚、外交官、政治家。
位階は従三位、勲等は旭日大綬章。
筆名は青杉 優子。
在ウルグアイ大使、文部大臣、公益財団法人日本ユニセフ協会会長を歴任した。
女性の政治参画拡大を目指す市民団体「Qの会」代表。
労働省の婦人局長として、1986年に施行された男女雇用機会均等法の成立に尽力し「均等法の母」と呼ばれた。
概要= 労働省婦人局長時代、男女雇用機会均等法制定の中核となった。
細川護熙、羽田孜両内閣で文部大臣を務めたほか、国際女性の地位協会会長なども務めた。
選択的夫婦別姓制度実現をめざす民法改正運動を行っているmネットの呼びかけ人でもある。
来歴= 生い立ち= 1929年(昭和4年)8月24日大阪市天王寺区に赤松麟作、浅香夫妻の二女として生まれる。
父・赤松麟作は、黒田清輝に師事し、関西西洋画壇の大家となった人物。
弟子に佐伯祐三らがいる。
赤松夫妻は二人とも再婚で、麟作は先妻との間に五男一女がいた。
良子がうまれたとき麟作51歳、浅香40歳と高齢出産であったため、出産は当時としては珍しく大阪赤十字病院で行われた。
麟作は良子を溺愛し、1934年(昭和9年)に「良子」という作品を描いている。
1936年(昭和11年)大阪市天王寺第五尋常小学校(現:大阪市立五条小学校)に入学。
同級生には、女優の園佳也子がいた。
1942年(昭和17 ……

赤松良子さんが亡くなってから、305日が経ちました。

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