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佐川美代太郎 氏

漫画[日本]

2009年 10月30日 死去老衰享年85歳

佐川 美代太郎(さがわ みよたろう、1923年12月1日 - 2009年10月30日)は日本の漫画家、絵本作家。
本名、小林 仁(こばやし じん)。
経歴= 茨城県真壁郡真壁町(現在の桜川市)に生まれる。
茨城県立下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)を経て、弁護士を目指し中央大学法学部に入学。
在学中の1943年に学徒出陣し、陸軍少尉として朝鮮で終戦を迎えた。
復員後、大学に復学したが、「これからは経済の時代だ」として、法学部から商学部に転部した。
大学卒業後、電機メーカーを経て、卸売会社・ぬ利彦で経理の仕事につく。
1952年より、社業のかたわら、自由出品制の美術展「読売アンデパンダン展」に漫画の投稿を開始。
審査員だった近藤日出造の知己を得て師事するようになったほか、同展に同様に漫画を投稿していた服部みちをのすすめで、雑誌『アサヒグラフ』の投稿欄「漫画学校」へも投稿を開始し、常連採用者となった。
1954年8月に「漫画集団」に入会(同期入団者に服部およびアヤタ・クニオ、小比賀新二、岡部冬彦、小林治雄)、プロ漫画家へ転身。
1955年、山陽新聞の連載漫画(タイトル不明)でデビュー。
翌年1956年から1964年にかけては日本経済新聞夕刊で『ほいきた君』(のち『へいきの平ちゃん』と改題)を連載した。
このように漫画家としては当初、ナンセンスものを手がけていたが、作風の進化を望み、1965年、仕事をセーブし、東洋大学大学院の聴講生と ……

佐川美代太郎さんが亡くなってから、15年と22日が経ちました。(5501日)

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