宮谷一彦 氏(みややかずひこ)
漫画家[日本]
2022年 6月28日 死去享年78歳
宮谷 一彦(みやや かずひこ、本名:渕上 一、1945年11月11日 - 2022年6月28日)は、日本の漫画家。
ペンネームは高校(名古屋市立工芸高校)の先輩である洋画家宮永岳彦に由来する。
大阪府出身。
先進的な漫画技法と文学的な作風によって1960年代後半から1970年代前半にかけてカリスマ的な人気を博した。
経歴=
1945年11月11日、大阪府に生まれ、その後三重県四日市市にて少年時代を過ごす。
その頃より石ノ森章太郎に憧れ、漫画家になることを目指す。
名古屋市立工芸高校産業美術科に入学するも、一年で愛知県立旭丘高等学校美術科に転入。
在学時より、休みの度に上京し、石ノ森章太郎の仕事場を訪ねて漫画の制作過程を直に学ぶ。
卒業後に改めて上京し、国分寺に下宿、漫画家を目指すもうまくいかず、四日市に戻り、就職してイラストを描く仕事につく。
1967年、「ねむりにつくとき」(『COM』月例新人賞受賞作)でデビュー。
永島慎二に次ぐ「青春劇画のホープ」と期待される。
デビュー後、当時流行していた学生運動に影響を受け作品が政治的色彩を帯びるようになる。
1969年、『ヤングコミック』で革命集団によるクーデターを描いた「太陽への狙撃」、1970年執筆の「性蝕記」がヒットし時代の寵児となる。
学生運動の「日和」と公害を描いたこの作品は劇画マニアから絶大な支持を得た。
1971年、右翼の実力者であった西山広喜の娘と駆け落ちをして話題となる。
彼女と ……
宮谷一彦さんが亡くなってから、2年と162日が経ちました。(893日)