天野秀二 氏(あまのしゅうじ)
フルーツ評論家[日本]
2009年 3月11日 死去享年95歳
天野 秀二(あまの しゅうじ、1915年8月2日[1] - 2009年3月11日)は、新宿高野に勤務して「フルーツ評論家」として、また「ギャラリー新宿高野」の支配人として知られた日本のサラリーマン[2][3]。
経歴=
1915年、静岡県浜松市に生まれる[4]。
父親は当時、静岡銀行の支店長をしていた[4]。
明治大学商学部に学び、1938年に住友銀行に入行した[5]。
第二次世界大戦中には召集されて、名古屋の自動車部隊の助教となった[6]。
兵役期間を満了し、1944年に住友銀行に復帰し、終戦までの時期に、家族を静岡に疎開させながら東京で勤務し、激しい空襲を経験する[7]。
1959年、当時副社長であった高野保の誘いに乗って新宿高野に転職し[8]、以降、広報を担当し「フルーツ評論家」として各方面に寄稿するなどして、後には、取締役になった[2]。
68歳で役員定年を迎えた後も、社員として会社に残り、紀伊国屋書店店主の田辺茂一の勧めで1983年にギャラリー新宿高野を開業して支配人となり[2]、2005年の閉廊までその任にあった[3]。
さらにその後も、社長室長として、会社に在職し続けた[3]。
2009年3月11日、心不全のため死去[1]。
エピソード=
自己紹介の際には、「果物屋の番頭です」と自称するのが常であったという[9]。
趣味で集めていた果物柄のネクタイのコレクションは、総数が600本を超えていたとされる[3]。
おもな著書=
単著=
小売店のパブリシティ作戦:「カネ」のかからない小売店のPR手法とその ……
天野秀二さんが亡くなってから、16年と113日が経ちました。(5957日)