岡留安則 氏(おかどめやすのり)
編集人[日本]
(長年「噂の眞相」の編集長を務めた)
2019年 1月31日 死去右上葉肺がん享年73歳
岡留 安則(おかどめ やすのり、1947年11月23日 - 2019年1月31日)は、日本のジャーナリスト、元『噂の眞相』編集長・発行人。
来歴・人物=
鹿児島県曽於郡末吉町(現在の曽於市)生まれ。
宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校(県をまたいで越境入学した)では野球部に所属。
法政大学社会学部入学後、学生運動の闘士となり、大学3年のとき構造改革左派のプロレタリア学生同盟に参加。
1970年に卒業後、70年安保を境に学生運動から脱落。
同法学部に学士入学し、在学中は高田馬場で土方のアルバイトを経験。
1972年卒業。
赤石憲彦率いる東京アドエージに入社し、以後2年半、業界紙の編集に携わる。
1975年に退社し、新島史と共同で『マスコミ評論』を創刊、編集長となる。
しかし、その後編集方針で新島と対立するようになり、1978年、5人のスタッフともども新島に追放された(のちに新島は、消費者金融「レイク」恐喝で逮捕、起訴され、懲役1年2か月の実刑判決をうけ、服役する)。
周囲に資金援助を仰ぎ、3000万円を集めて東京新宿に事務所を借り、反権力・反権威スキャンダリズムを売りとする月刊誌『噂の眞相』を1979年3月に創刊。
1980年、『噂の眞相』は皇室ポルノ事件で広告のほとんどを失い、また印刷会社などへの攻撃により危機に陥るが、その後は広告を頼りにしない方針で立ち直り、休刊まで黒字を維持した。
ノーテンキを自称し、個人的な知人・友人であっても容赦なく批判や話題 ……
岡留安則さんが亡くなってから、5年と295日が経ちました。(2121日)