清川玉枝(きよかわたまえ)
女優[日本]
1969年 1月21日 死去肝臓がん享年67歳
清川 玉枝(きよかわ たまえ、1903年5月24日 - 1969年1月21日)は、日本の女優。
来歴・人物=
1903年(明治36年)5月24日、東京府東京市芝区(現在の東京都港区)に生まれる。
東洋高等女学校(現在の東洋女子高等学校)卒業後、新劇女優として芽生座、築地座、創作座などに参加して舞台に立つ。
この間の1928年(昭和3年)、山田隆弥製作の『肉弾決笑記』で映画に初出演する。
1936年(昭和11年)、P.C.L.映画製作所(後に東宝映画)に入社。
成瀬巳喜男監督の『君と行く路』、山本薩夫監督の『お嬢さん』『田園交響楽』、島津保次郎監督の『兄の花嫁』などに出演し、個性的で柔軟な演技の脇役として活躍する。
戦後は、数本に東宝作品に出演したのち、東宝争議で新東宝に移る。
1952年(昭和27年)にはフリーとなり、各社の作品に出演する。
特に喜劇映画では、アクの強い芸達者ぶりを見せて、脇役女優の中でも異彩を放った。
1968年(昭和43年)の『喜劇 “夫”売ります!!』を最後に映画を離れる。
この間に東宝映画東京撮影所文芸課長や新東宝のプロデューサーを務めた伊藤基彦と結婚し、20年に及ぶ結婚生活ののち、1950年(昭和25年)6月に離婚。
このとき久保田万太郎を間に立てて当時では珍しい離婚式を開いて話題をまいた。
1969年(昭和44年)1月21日、肝臓がんのため死去。
65歳没。
出演作品=
映画=
肉弾決笑記(1928年、マキノ)
吾輩は猫である(1936年、P.C.L.) - 鼻子 役
女人哀愁 ……
清川玉枝が亡くなってから、55年と304日が経過しました。(20393日)