若井小づえ 氏(わかいこづえ)
漫才師、若井小づえ・みどり[日本]
1999年 1月13日 死去くも膜下出血享年53歳
若井小づえ・みどりは、元女流漫才コンビ。
吉本興業大阪本部所属。
師匠は若井はんじ・けんじ。
活動期間は1965年 - 1991年。
概要=
小づえとみどりは洋裁学校の同級生かつ友人同士でコンビを結成。
当初、"若井こづえ・ひとみ"の名前でケーエープロダクションに所属。
大阪梅田のトップホットシアター(東宝系の演芸場)を中心に活躍した。
その後、師匠の反対を押し切り吉本興業に移籍。
漫才ブームの時流には直接的には乗れなかったが、花月劇場の通常の出番のみならず、テレビ出演などで多忙を極め劇場に出られなくなった漫才コンビの代演も数多くこなしているうちに次第に頭角を現し始め、ブームが過ぎ去った後の1980年代中盤~後半にテレビ番組などの表舞台に立つまでに至った。
師匠の若井はんじ・けんじへの弟子入りの際、2人から「女芸人はナンボ一生懸命指導しても結婚してやめてもうたら意味ないから」独身を通す事を条件に師事を許された。
そのため双方は永年独身を通し、それをネタとウリにした。
「結婚したい」を「嫁に、もぉてぇ~!おっきがぁるに♪まァだ無いかァ~?」のフレーズを中心に強くアピールする小づえを突っ込み、あしらいつつ進行していく芸風。
解散については、みどりの結婚に伴い双方の立場に差がついてネタが出しにくくなったとの説と、みどりが結婚を皆に隠していたことに小づえがキレたとの説とがある。
師匠の一人であるけんじ ……
若井小づえさんが亡くなってから、25年と313日が経ちました。(9444日)