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コーシャ・フェレンツ 氏Kósa Ferenc

映画監督脚本家[ハンガリー]

2018年 12月12日 死去享年82歳

コーシャ・フェレンツ - ウィキペディアより引用

コーシャ・フェレンツ(Kósa Ferenc [ˈkoːʃɒ ˌfɛrɛnt͡s]、1937年11月21日 - 2018年12月12日)は、ハンガリーの映画監督、脚本家。
1989年以降のハンガリー民主化運動に深く関わり、民主化後には国会議員を1990年から16年間務めており、政治家でもある。
経歴= コーシャは、ハンガリー北東部のニーレジハーザに生まれた。
青年期にハンガリー動乱を経験した。
1958年、コーシャはブダペストで5年制の国立演劇映画芸術大学(ハンガリー語版)に入学し(卒業資格は修士相当)、在学中の1961年に『あるふだんの日に関するエチュード (Etűd egy hétköznapról)』で監督デビューし、以降、バラージュ・ベーラ・スタジオ(ハンガリー語版)の一員として映画製作に従事した。
卒業制作として取り組んだ『一万の太陽 (Tízezer nap)』は、1965年に完成したが、ハンガリー動乱を登場人物が「革命」と呼んでいるシーンを変更することを拒んだため、一般公開が認められず、結果として卒業できない状態が続いた。
ところが、コーシャは突然文部省映画総局に呼び出され、この作品が、1967年に開催された第20回カンヌ国際映画祭に招待されたので、すぐカンヌに行くように告げられ、そこで監督賞を獲得して、国際的な評価を得た。
帰国後コーシャは2年遅れで無事学位記を受け取ることができた。
卒業後はハンガリーを代表する映画監督として精力的に映画を発表し続けた。
コーシャ は、1961年から1988年にかけて、社会主義体 ……

コーシャ・フェレンツさんが亡くなってから、5年と345日が経ちました。(2171日)