坪正直 氏(つぼまさなお)
元JRA調教師[日本]
2018年 12月3日 死去享年85歳
坪 正直(つぼ まさなお、1934年9月7日 - 2018年12月3日)は、青森県出身の元調教助手・元調教師。
坪憲章の叔父。
経歴=
1964年に阪神・坪重兵衛厩舎の厩務員として競馬サークル入りし、1965年からは調教助手を務めた。
その後は松田由太郎厩舎(1974年)、上田武司厩舎(1975年)の助手時代を経て、1976年に調教師免許を取得。
1978年3月に開業し、同11日の阪神第6競走4歳新馬・ファインタガミ(8頭中5着)で初出走を果たすと、6月17日の函館第8競走HTB賞・ファインドラマで初勝利(延べ23頭目)を挙げた。
1年目の同年は3勝、2年目の1979年は5勝、3年目の1980年には初の2桁となる18勝をマーク。
1982年から1995年には14年連続2桁勝利を記録するなど、10勝から20勝台を安定して推移していた。
1985年には競馬学校第1期生の山田和広が同厩舎からデビューし、主戦騎手として起用される。
1987年にサファイヤステークスをマルブツロンリーで制し、開業9年目にして重賞初勝利を挙げる。
鞍上の山田は3年目で共に重賞初勝利となり、以降の重賞13勝(うち1勝は地方交流重賞)中12勝は山田の騎乗によるものであった。
1999年の函館記念・ジョービッグバンは田面木博公騎乗で記録しているが、山田は相当前からブリリアントロードの騎乗が決定していたためこの日は騎乗しなかった。
この時のジョービッグバンのハンデが50kgであったことも影響しているが、この日の新聞コメントで山田は「ジョービッグバンがとても良 ……
坪正直さんが亡くなってから、5年と354日が経ちました。(2180日)