松下眞一 氏(まつしたしんいち)
数学者、作曲家[日本]
1990年 12月25日 死去享年69歳
松下 眞一(まつした しんいち、Shin-ichi Matsushita、1922年10月1日 - 1990年12月25日)は、日本の現代音楽の作曲家・数学者・物理学者・宗教学者・哲学者。
略歴=
大阪府茨木市生まれ。
大阪府立旧制茨木中学校を経て、旧制第三高等学校(現・京都大学)に入学する。
この間に、父・松下久一より作曲を、中村良治にピアノと和声、永井巴に作曲と和声、朝比奈隆に指揮を師事した。
幼少の頃より、音楽、文学、科学や天文学に関心を抱く。
中学時代より、ミヨー、ドビュッシー、オネゲル、ストラヴィンスキー、バッハ等の楽曲に親しむとともに、十二音技法の始祖ヨーゼフ・マティアス・ハウアーの思想に傾倒し、13歳で最初の交響曲を作曲していた。
九州帝国大学(現・九州大学)理学部を卒業後同理学研究科大学院へ進み、1947年修了。
数学(位相解析学)専攻。
九州大学大学院文部省特別研究生を経て、1950年に大阪市立大学理学部助教授に就任。
1952年に論文On topological groupsを発表し、現在においても高く評価されている。
この頃の松下の論文は、作用素環、非可換群上の調和解析が中心で、その他、束論、ポテンシャル論なども含まれている。
1957年に山縣茂太郎、徳田正彦、前田和男、中瀬古和、沢田四郎、網代栄三、本田周司らと新作曲家集団を結成した。
1965年には、ドイツの数学者パスカル・ヨルダンに乞われ、ヨルダン代数の共同研究のためハンブルク大学客員教授、及び国立理論 ……
松下眞一さんが亡くなってから、33年と332日が経ちました。(12385日)