稲塚権次郎 氏(いなづかごんじろう)
農学者[日本]
1988年 12月7日 死去享年92歳
稲塚 権次郎(いなづか ごんじろう、旧字:稻塚 權次郎、1897年(明治30年) - 1988年(昭和63年))は、日本の農学者。
緑の革命以降、世界に流通することになった小麦品種「ゲインズ」の親品種である「小麦農林10号」(ノーリン・テン)の育成者として知られる。
経歴=
1897年(明治30年)、現在の富山県南砺市で誕生
高等小学校卒業後、富山県立農学校に入学
1914年(大正3年)3月、農学校を首席で卒業し、東京帝国大学農科大学入学
1918年(大正7年)、大学を卒業、農商務省の農事試験場に就職
1919年(大正8年)、秋田の陸羽支場に赴任。
のちに「陸羽132号」完成
「水稲農林1号」(コシヒカリ、ササニシキ、あきたこまちの先祖)完成
1926年、岩手県農事試験場に転勤
1929年(昭和4年)、「小麦農林1号」完成
1935年(昭和10年)には「小麦農林10号」を完成
1938年(昭和13年)、北京の華北産業科学研究所(義和団の乱の賠償金還元目的に外務省が設置)に転任
1947年(昭和22年)、日本に帰国
1957年(昭和32年)2月15日、農林省金沢農地事務局計画部長辞職。
富山県東礪波郡城端町、構造改善事業地区委員長に就任
1971年(昭和46年)11月5日、勲三等瑞宝章受章
1981年(昭和56年)、日本育種学会大会で講演
1988年(昭和63年)12月7日、死去。
従五位に叙される。
映画化=
NORIN TEN〜稲塚権次郎物語〜監督
稲塚秀孝脚本
稲塚秀孝製作
吉川愛美出演者
仲代達矢松崎謙二野村真美藤田弓子益岡徹舞川あいく他音楽
P.P.M 林 ……
稲塚権次郎さんが亡くなってから、35年と349日が経ちました。(13133日)