鶴澤寛治 氏(つるざわかんじ)
文楽義太夫節三味線方・七代目[日本]
(人間国宝)
2018年 9月5日 死去享年91歳
鶴澤 寛治(つるざわ かんじ)は、文楽義太夫節三味線方の名跡。
初代=
(生没年不詳)
初代鶴澤友次郎の門下で亀次郎。
1750年に大坂豊竹座初出座。
宝暦10年(1760年)に寛治を名乗る。
花蝶軒・観西翁と称した。
通称を「土橋寛治」。
2代目=
(生没年不詳)
初代寛治の門下で儀七が寛政8年(1796年)に2代目寛治を襲名。
3代目=
(生年不詳 - 文政4年(1821年)3月11日)
2代目寛治の門下で初代鶴澤文吾、初代鶴澤八兵衛を経て文化13年(1817年)に3代目寛治を襲名。
4代目=
(生没年不詳)
摂州難波村(現在の大阪市)の生まれ、3代目寛治の門下で富造、2代目文吾を経て文政9年(1826年)に4代目寛治を襲名。
明治元年に弟子に寛治を譲り寛翁と称した。
「関取千両幟」の櫓太鼓の曲弾きを始めたといわれている。
寛永時代の大立者。
通称を「鬼寛治」。
5代目=
(嘉永2年(1849年) - 明治17年(1884年)2月5日)本名は大盛寛治郎。
堺の生まれ、鶴澤寛三郎の養子、幼少から三弦に親しみ5代目鶴澤傳吉の門下で初代鶴澤寛治郎、その後傳吉の没後は初代鶴澤清六の門下で明治7年(1874年)頃に5代目寛治を襲名。
明治8年(1875年)正月から大阪松島の文楽座で竹本重太夫の相三味線を務める。
病が多く、明治14年(1881年)の文楽座が病気で最後の舞台。
6代目=
(明治20年(1887年)10月17日 - 昭和49年(1974年)8月20日)本名は白井治三郎。
京都市内の生まれ、明治29年(1896年)に9代 ……
鶴澤寛治さんが亡くなってから、6年と77日が経ちました。(2269日)