カルメン・フランコ 氏Carmen Franco y Polo
公爵[スペイン]
(スペインのフランコ元総統の一人娘)
2017年 12月29日 死去享年92歳
マリア・デル・カルメン・フランコ・イ・ポロ(スペイン語: María del Carmen Franco y Polo、1926年9月14日 - 2017年12月29日)は、スペインの貴族。
初代フランコ女公爵。
総統フランシスコ・フランコの一人娘であり、第10代ビリャベルデ侯爵クリストバル・マルティネス=ボルディウの妻。
フランシスコ・フランコ財団(スペイン語版)名誉理事長などを歴任。
経歴=
1926年9月14日、アストゥリアス州オビエドにフランシスコ・フランコとカルメン・ポロの間の娘として生まれた。
母と同じカルメンと命名されたが、カルメンシータと呼ばれた。
軍人だった父の勤務先に従って各地を転々としたが、フランコが陸軍参謀総長に任命された1935年からマドリードで暮らした。
1936年に左翼連合政権「人民戦線」が誕生するとフランコは反乱軍の指揮を執ってスペイン内戦を戦った。
フランコの妻と娘ははじめドイツの汽船に乗ってフランスに亡命していたが、1936年9月に海路でポルトガルへ行き、スペイン西部カセレスに入り、フランコと合流した。
同年10月1日のフランコの国家元首と大元帥への就任式にはフランコの妻と娘の姿もあった。
その後も1939年までスペイン内戦は続いたが、その間は彼女と母はサラマンカにある司教の宮殿で暮らした(カトリック教会はフランコを支持していた)。
1939年3月28日にマドリードが陥落して「人民戦線」政府が崩壊し、フランコがスペインの統治者となった後、マドリー ……
カルメン・フランコさんが亡くなってから、6年と327日が経ちました。(2519日)