戸山為夫 氏(とやまためお)
元競馬騎手、元JRA調教師[日本]
(ミホノブルボンでダービー制覇)
1993年 5月29日 死去享年62歳
戸山 為夫(とやま ためお、1932年1月5日 - 1993年5月29日)は、京都府久世郡淀町(現・京都市伏見区)出身の元騎手(国営競馬、日本中央競馬会(JRA))、元調教師(日本中央競馬会)。
徹底したハードトレーニングで競走馬を鍛えた調教師として知られる。
義父に岡野初蔵。
経歴=
少年時代~騎手時代=
祖父は彦根藩士から転じて農業銀行を経営していたが、銀行は父(仙台生まれ)の代に頓挫し、株の外交員となるも戦争で取引所が無くなり、失業していた。
十二人兄弟の間に生まれ、上の兄二人は結核で、弟一人は栄養失調で亡くなっている。
実家が淀にあり、京都競馬場に近く、少年時代から頻繁に同競馬場内に立ち寄り、場内で当時見習騎手だった小林稔(のちの調教師)に誘われて馬に乗ったのをきっかけに騎手を志した。
一年の内、三分の一は休み、六年生の頃は結核性肋膜炎(胸膜炎)に冒される虚弱児だった。
これまで困窮生活を送ったことで母に「サラリーマンになってくれ」と言われて「騎手になりたい」とは言えなかったがその母が高校一年の時に急逝。
父や兄達に反対されるも、およそ20年後にタニノハローモアでダービーを獲った時には和解しており心から喜んでくれるも一年後に父は世を去った。
京都市立四條商業高等学校(廃校)在学当時から近所に住んでいた縁もあって武平三騎手の内弟子となり、高校卒業後の1949年に高橋直三厩舎で騎手候補生となる。
1950年、庄野穂 ……
戸山為夫さんが亡くなってから、31年と176日が経ちました。(11499日)