デビル紫 氏(でびるむらさき)
元プロレスラー[日本]
2017年 10月23日 死去食道がん享年76歳
デビル紫(デビルむらさき、1942年4月30日 - 2017年10月23日 )は、日本のプロレスラー。
本名:村崎 昭男(むらさき あきお)。
現役時代は国際プロレス所属。
当時としては珍しかった日本人マスクマンとして活動した。
来歴=
高校卒業後に海上自衛隊へ入隊し、舞鶴基地へ配属される。
3年で海上自衛隊を除隊した後、難波ボディビル・ジムを経て、1967年8月に国際プロレスに入団。
1968年1月5日、福岡県の小倉市三萩野体育館において、本名の村崎昭男としてデビュー。
デビュー戦の相手は仙台強が務めた。
1972年5月、デビル紫(Devil Murasaki)へと改名。
同年10月には全日本プロレスの旗揚げシリーズに鶴見五郎らと参戦。
ジャイアント馬場から高評価を受ける。
1972年12月、ハワイでのAWAの興行に国際プロレス社長の吉原功と同行、試合は行わなかったものの、吉原からアメリカ修行を命じられ、合衆国本土のテネシーへ移動。
以降、各地を転戦する。
テネシーのNWAミッドアメリカ(後のCWA)ではタロー・ムラサキ(Taro Murasaki)と名乗り、同時期に海外修行に出ていたグレート・フジこと大位山勝三とのコンビで活動。
トージョー・ヤマモトがマネージャーとなり、ジェリー・ローラー、ジェリー・ジャレット、ファビュラス・カンガルーズ(アル・コステロ&ドン・ケント)などと対戦した。
1973年6月からはグレート・サキ(Great Saki)のリングネームでインディアナポリスのWWAに参戦。 ……
デビル紫さんが亡くなってから、7年と29日が経ちました。(2586日)