北天佑勝彦 氏(ほくてんゆうかつひこ)
元相撲力士、年寄・二十山[日本]
(本名・千葉勝彦)
2006年 6月23日 死去享年47歳
北天佑 勝彦(ほくてんゆう かつひこ、1960年8月8日 - 2006年6月23日)は、北海道室蘭市出身で三保ヶ関部屋に所属した大相撲力士。
本名は千葉 勝彦(ちば かつひこ)。
最高位は東大関。
後の年寄・二十山。
現役時代の体格は身長183cm、体重149kg。
得意手は突き、押し、右四つ、左褌、吊り、寄り、投げ。
実弟も角界入りし、九重部屋で、富士昇の四股名で三段目まで昇進した。
血液型はO型、趣味はゴルフ、水墨画。
またその端整なマスクから女性ファンからの人気が高く、当時の角界としては珍しく女性からの黄色い声援が上がっていた。
生涯=
入門時=
四股名の由来は「北の天の下に生まれ人の右に出る」から取られている。
均整の取れた柔軟な体格で、スカウト、命名した9代三保ヶ関(元大関・先代増位山)のみならず角界関係者から期待され、「末は大関、横綱」と期待された(「双葉山の再来」、「未来の双葉山」とも称された)。
若手時代には関係者から「転がっているだけでも強くなれる」と評され、特に9代三保ヶ関は「北の湖と北天佑を東西の横綱に並べるのが夢」とまで言い切っていた。
入門〜大関昇進まで=
室蘭市立本室蘭中学校卒業後の1976年3月場所、本名の千葉で初土俵。
1978年1月場所、幕下昇進を機に北天佑勝彦と改名。
幕下時代の1979年7月場所では三保ヶ関部屋の力士が流行性肝炎に多数感染し、北天佑もその一人で初日から休場するも8日目から出場している。
北天佑勝彦さんが亡くなってから、18年と151日が経ちました。(6726日)