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権藤花代(ごんどうはなよ)

童謡詩人[日本]

1961年 11月3日 死去享年63歳

権藤花代 - ウィキペディアより引用

権藤 花代(ごんどう はなよ、1899年(明治32年)4月13日 - 1961年(昭和36年)11月3日)は、唱歌「たなばたさま」作詞者・童謡詩人。
本名は権藤はなよ。
結婚前は伊藤はなよの旧姓で作品を発表、結婚後はペンネーム権藤はな子を使っていた。
2008年頃までは、「権藤花代」という漢字名が使用されていたが、その後は本名の「権藤はなよ」が一般的になっている。
実兄の伊藤生更はアララギ派の歌人であり、短歌結社「美知思波」を創立している。
経歴= 1899年(明治32年)山梨県北巨摩郡穴山村(現・韮崎市穴山町)に、父・伊藤友重(ともじゅう)、母・やよの次女として生まれる。
1919年(大正8年)山梨県師範学校(現・山梨大学)を卒業。
母校の穴山尋常小学校に勤務。
大正後期から昭和初期にかけては、童謡運動の全盛期であった。
数多くの児童雑誌が出版される中、花代の文学への強い思いは上京を決意するに至る。
出版社に勤めながら、野口雨情と千葉省三に師事し、『金の星』『童話』などに童謡詩、童話を発表した。
1924年(大正13年)5月、宮崎県延岡出身の声楽家・権藤円立と結婚。
野口雨情の媒酌による結婚式は、兄の住む甲府で行われた。
結婚後、一年余り夫の勤務地である大阪でくらしたが、大正14年の暮れには再び上京して、武蔵野村(現・武蔵野市)吉祥寺に住むことになる。
野口雨情は1924年より吉祥寺に居住し、また権藤円立と東京音楽学校(現・東京芸術大 ……

権藤花代が亡くなってから、63年と18日が経過しました。(23029日)

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