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小金井喜美子(こがねいきみこ)

歌人翻訳家[日本]

1956年 1月26日 死去享年87歳

小金井 喜美子(こがねい きみこ、明治3年11月29日(1871年1月19日) - 昭和31年(1956年)1月26日)は、近代日本の歌人・翻訳者。
近代詩の形成に多大な影響を与えた訳詩集『於母影』の共訳者として、紅一点で名を連ねるなど、女性文学者として明治期に若松賤子と並び称された歌人・随筆家である。
夫は日本解剖学会初代会長などをつとめた小金井良精(良精は再婚)、長兄は文豪森鷗外、次兄は劇評家の三木竹二(森篤次郎)、孫の一人は作家の星新一。
家族・知人などの回想記を多く著し、とりわけ鷗外と竹二に関する記述は、鷗外研究で重要な資料となっている。
生涯[編集] 1871年1月19日(明治3年11月29日)、石見国(現島根県)津和野で津和野藩医、森静泰(後年、静男と改名)と峰の間に長女として生まれた(本名キミ)。
2歳半で上京後、向島で暮らし、11歳のとき父親の医院移転にともない千住北組に引っ越した。
当時、女子の教育制度があまり整備されていなかったこともあり、千寿小学校を卒業後、関澄桂子の私塾で書道などを、佐藤応渠に漢学を、宮内省歌道文学御用掛の福羽美静に和歌を学ぶ。
1885年(明治18年)秋、その福羽の勧めにより、東京女子師範学校付属高等女学校(現・お茶の水女子大学附属高等学校)に入学した。
鷗外がドイツ留学中、喜美子に縁談が複数あったものの、十代の喜美子が唯一の娘であったため、森家は鷗外が帰国してから相談するとして話を急がなかった ……

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小金井喜美子が亡くなってから、68年と183日が経過しました。(25020日)