アレクサンドル・オパーリン 氏Aleksandr Ivanovich Oparin
化学者[ソ連]
1980年 4月21日 死去享年87歳
アレクサンドル・イヴァノヴィッチ・オパーリン(Алекса́ндр Ива́нович Опарин、Aleksandr Ivanovich Oparin、ユリウス暦1894年2月18日(グレゴリオ暦3月2日)-1980年4月21日)は、ソ連の生化学者。
化学進化説の提唱者。
略歴=
モスクワの北方、ヴォルガ川畔の町に3人兄弟の末子として生まれる。
姉はフランスのナンシー大学医学部に学び故郷で医者に、兄は経済学者となり大学教授となった。
オパーリン自身はモスクワ大学物理数学部自然科学科に入学、当時ツァーリの政治的圧迫から大学を去っていた植物生理学者クリメント・チミリャーゼフ(Kliment Timiryazev)に個人的に学んでいる。
2月革命と10月革命の間に同大学を卒業、生化学者アレクセイ・バッハ(Aleksei Nikolaevich Bach)の下で生化学を研究に勤しむようになる(当時の主な研究は、植物の芽ばえに関連した呼吸色素・タンパク質代謝・酵素生成などについてであった)。
その後ドイツに留学し、ベルリン大学のカール・ノイベルク、ハイデルベルク大学のアルブレヒト・コッセル、ミュンヘン大学のリヒャルト・ヴィルシュテッターらに学んで帰国する。
1929年モスクワ大学植物生理化学教授、1935年にバッハ名誉科学アカデミー生化学研究所の研究員となり、1946年からは同研究所の所長に就任している。
また同年ソ連科学アカデミ一正会員、1953年に同幹部会員となった。
オパーリンは社会活動家としても活動しており、1950年にソビエト平和擁 ……
アレクサンドル・オパーリンが亡くなってから、44年と214日が経過しました。(16285日)