豊山広光 氏(ゆたかやまひろみつ)
元相撲力士[日本]
(先代・湊親方、本名・長濱廣光)
2020年 9月19日 死去享年74歳
豊山 広光(ゆたかやま ひろみつ、1947年10月22日 - 2020年9月19日)は、新潟県新発田市大字新保小路出身で時津風部屋に所属した大相撲力士。
本名は長濱 廣光(ながはま ひろみつ)。
現役時代の体格は186cm、133kg。
得意手は右四つ、突っ張り、吊り、寄り。
最高位は東小結(1972年9月場所・1977年11月場所)。
現役引退後は年寄・湊を襲名して、湊部屋を創設し、その師匠を長く務めた。
来歴・人物=
実家は農家。
幼い頃から相撲を始め、新発田農業高校では全国大会で優勝し「高校横綱」になるなど、活躍を見せた。
1966年春、高校卒業と同時に東京農業大学に進学。
スポーツ特待生での入学を希望したが、当時学内の不祥事により同大学では特待生制度を認めていなかったため、一般の学生として入学した。
そのため、家計が苦しく、大学の警備のアルバイトをして学費を稼ぎながら相撲部で活躍した。
大学4年時には、1学年先輩で既に日本大学を卒業して同大学農獣医学部の体育助手兼相撲部コーチとなっていた田中英寿と全日本相撲選手権大会決勝で対戦して敗れ、惜しくもアマチュア横綱の座を逃している。
卒業後は教員になるつもりであったが、相撲部での実績が認められたことで時津風親方(元大関・豊山)に勧誘され、引退後に年寄株の手配をするという条件を提示されて時津風部屋に入門することを決意。
1970年3月場所に於いて、幕下付出で初土俵を踏んだ。
当初の四股名は ……
豊山広光さんが亡くなってから、4年と63日が経ちました。(1524日)