アレクサンドル・プトゥシコAleksandr Ptushko
映画監督[ソ連]
1973年 3月6日 死去享年74歳
アレクサンドル・ルキッチ・プトゥシコ(ロシア語: Александр Лукич Птушко、英語: Aleksandr Lukich Ptushko、1900年4月19日 ロシア帝国ルガンスク - 1973年3月6日 ソビエト連邦モスクワ)は、ソビエト連邦のアニメーション、ファンタジー映画の監督。
ソビエト・アニメーション映画の初期の重要人物。
「ソビエトのウォルト・ディズニー」とも呼ばれている。
もっとも、それは誤解を招きかねない。
厳密に言うなら、ウィリス・オブライエンやレイ・ハリーハウゼンと較べるべきかも知れない。
プトゥシコは短編ストップモーション・アニメーション映画の監督からスタートした。
やがて長編映画も撮るようになるが、その中では、実写、ストップモーション、クリエイティヴな特殊効果を駆使している。
題材は、ロシアの民話・おとぎ話が多い。
長編第1作の『新ガリバー』(1935年)から亡くなるまでに、ロシア映画史に残る多くの子供向け映画を作り続けた。
それらは素晴らしい視覚的センスとスペクタクルに満ち、大変な人気を呼び、また国際的にも賞賛された。
映画人生=
パペット・アニメーション時代=
1927年、モスクワのモスフィルム撮影所に入社した時から、プトゥシコの映画人生はスタートした。
最初は他の監督の短編ストップモーション・アニメーション映画の人形(パペット)を作っていた。
しかし、ほどなく監督になり、Bratishkinという名前のキャラクターを主人公と ……
アレクサンドル・プトゥシコが亡くなってから、51年と260日が経過しました。(18888日)