ドミトリー・カバレフスキー 氏Dmitri Borisovich Kabalevsky
作曲家[ソ連]
1987年 2月14日 死去享年84歳
ドミトリー・ボリソヴィチ・カバレフスキー(ロシア語: Дми́трий Бори́сович Кабале́вский, 英語: Dmitri Borisovich Kabalevsky)(1904年12月30日 - 1987年2月14日)は、ロシアの作曲家・ピアニスト・著述家。
子供向けに優れた作品を残した現代の作曲家の一人と看做されている。
ソビエト作曲家同盟をモスクワに創設するのに尽力するなど、ソビエト連邦公認の芸術家として、作曲界で権勢をほしいままにした。
生涯=
1906年、エレナと共に
1911年、母ナデジダとエレナと共に
サンクトペテルブルクの数学者の家庭に生まれる。
父親から数学に進むように激励されたが、早くから芸術に魅了されていて、詩や絵画を創るかたわら優秀なピアニストに成長し、後にサイレント映画の伴奏演奏家を務めるほどだった。
1925年に父親の意に背いてモスクワ音楽院に進み、ニコライ・ミャスコフスキーに作曲を、アレクサンドル・ゴリジェンヴェイゼルにピアノを師事。
同年、学生作曲家創造集団(Prokoll)に入会。
第二次世界大戦中は、多くの愛国的な歌曲を創り、1940年にはソ連共産党にも入党した。
戦時中に運営された『ソビエト音楽(Sovetskaya Muzyka)』誌の編集者も務めている。
また、サイレント映画のための演奏者を務める傍ら、劇場音楽にも手を染めている。
1948年にアンドレイ・ジダーノフがソビエト音楽のとるべき進路についての決定を宣言する際、当初カバレフスキーは、形式主義者の一人 ……
ドミトリー・カバレフスキーさんが亡くなってから、37年と281日が経ちました。(13795日)