船床定男(ふなとこさだお)
映画監督、演出家[日本]
1972年 2月22日 死去享年41歳
船床 定男(ふなとこ さだお、1932年[1]2月5日[2] - 1972年2月22日[2][3])は、京都府出身の演出家、映画監督。
本名荒井定男[3][注釈 1]。
妻は日本舞踊家の花柳寿位彦(本名・荒井満枝)[2][3]。
日本初の「連続テレビ映画」番組である『月光仮面』を演出するなど、日本のテレビ黎明期において多くのテレビドラマを演出したことで知られ、14年間で約600本を監督した[5]。
来歴・人物=
国民学校高等科卒業後、演劇青年となり、1952年に加藤泰らの「劇団こうもり座」に参加[6]。
その後、映画の世界に入り、加藤泰、伊藤大輔に師事する[1][7]。
1958年に宣弘社が製作し、同じ独立プロダクション「綜芸プロ」に所属していた西村俊一が企画した日本初の「連続テレビ映画」である『月光仮面』を、監督経験のないまま26歳の若さで初演出。
低予算の上「ワンカット28秒しか撮影できないカメラ」という制約の元で「スピーディーな演出」と「早撮り」の才能を発揮してヒット作品とした[8]。
続いて『快傑ハリマオ』『隠密剣士』など宣弘社作品を中心に多くのテレビドラマを監督[1][2]。
1967年には自身初の特撮ヒーロー物である『マグマ大使』のシリーズ後半より監督[9]。
その後も多くの作品の演出を続けたが、1970年のテレビドラマ『青春太閤記 いまにみておれ!』の演出前後に舌癌を発症。
その後も治療を続けながら『ガッツジュン』などを監督したが、1972年に40歳の若さで死去[10][3]。
戒名の「月光院明世 ……
船床定男が亡くなってから、53年と130日が経過しました。(19488日)