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大錦大五郎(おおにしきだいごろう)

相撲力士・第28代横綱[日本]

1943年 5月18日 死去享年61歳

大錦大五郎 - ウィキペディアより引用

大錦 大五郎(おおにしき だいごろう、1883年3月22日 - 1943年5月16日)は、愛知県海部郡鍋田村稲元(現:愛知県弥富市稲元)出身の大相撲力士(京都相撲・大坂相撲)。
第28代横綱。
本名は鳥井 大五郎(とりい だいごろう)。
来歴= 1883年3月22日に愛知県海部郡鍋田村稲元(現:愛知県弥富市稲元)で大工だった山田松次郎の次男として生まれた。
誕生日は3月22日とされているが、3月20日・7月22日など諸説ある。
幼少期から怪力で、地元の子供相撲でも年上の子供を相手にしても負けなかったため、「稲元の金太郎」という異名を取った。
父の元で修業の後に京都で車大工の職人となったが、体格と怪力を見込まれ、その評判を聞きつけた力士の勧めで、1898年に伊呂波部屋(京都相撲)へ入門した。
1903年1月に陣幕部屋(大坂相撲)へ移籍するとすぐ頭角を現したが、陣幕の急死によって朝日山部屋へ移籍した。
破竹の勢いで十両を僅か1場所で通過し、1906年2月場所で新入幕を果たす。
ところが、大錦のあまりにも早い出世に他の部屋から苦情が相次いだため、同場所は前頭ではなく「十両筆頭格」として出場させた。
それでも快進撃は留まらず、1907年6月場所で小結、1908年1月場所で関脇、1910年6月場所後には大関に昇進、これ以降在位9年・14場所を務めた。
ちょうどこの頃に常陸山谷右エ門から東京相撲へ勧誘されたが、朝日山(岩ヶ谷岩松)に深く恩義を感じていたために断ったという。
その ……

大錦大五郎が亡くなってから、81年と188日が経過しました。(29773日)

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