吉村午良 氏(よしむらごろう)
元長野県知事[日本]
(日本の都道府県知事が受け取った退職金総額で歴代1位。)
2007年 5月7日 死去心不全享年82歳
吉村 午良(よしむら ごろう、1926年(大正15年)2月13日 - 2007年(平成19年)5月7日)は日本の政治家・官僚。
元長野県知事(在職期間:1980年(昭和55年) - 2000年(平成12年))。
旧名は吾朗であり、改名は姓名判断に凝っている夫人の勧めで行われた。
来歴=
新潟県長岡市生まれ。
長野市立鍋屋田尋常小学校(現:長野市立鍋屋田小学校)、旧制長野中学校(現:長野県長野高等学校)、東京大学法学部を卒業後、自治省(現:総務省)へ入省。
1948年(昭和23年)に長野県厚生課に出向し、児童課、林政課、振興課、厚生課の各課長を経て、1957年(同32年)宮城県庁に転じ、1961年(同36年)自治省会計課長補佐、1962年(同37年)総理府統計局経済課長となり、1965年(同40年)自治大臣官房調査官から、長野県総務部長に再出向した。
1970年(同45年)県公営企業管理者、1971年(同46年)副知事を経て、1980年(同55年)に西沢権一郎の脳溢血による病気辞任(辞任後に死去)を受けて、知事選挙に出馬し初当選。
長野県知事時代=
1998年(平成10年)冬季の長野オリンピック招致では、コクドグループと共に積極的に推進した。
軽井沢プリンスホテル西館竣工パーティーなどのプリンス系列の建築物が完成する度に出向いて、テープカットなどのセレモニーにはほとんど欠かさずに参加していた。
しかしこれらは公費、つまり税金を使って出張しており、またコクドによる大日向ゴルフ場建設において贈収賄疑惑 ……
吉村午良さんが亡くなってから、17年と199日が経ちました。(6408日)