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坂井義則 氏(さかいよしのり)

陸上選手[日本]

(東京オリンピック最終聖火ランナー)

2014年 9月10日 死去脳出血享年70歳

坂井義則 - ウィキペディアより引用

坂井 義則(さかい よしのり、1945年(昭和20年)8月6日 - 2014年(平成26年)9月10日)は、日本の元陸上競技選手。
元フジテレビ社員。
1964年東京オリンピックの開会式で聖火リレーの最終ランナーを務めた。
プロフィール= 坂井は広島市に原子爆弾が投下された1時間半後に、現在の広島県三次市(当時は双三郡三次町)にて出生した。
坂井自身は被爆者ではないが、電力会社に勤務していた父は被爆者健康手帳の保有者である。
広島県立三次高等学校在学中の1963年(昭和38年)、第19回国民体育大会400mで優勝、東京オリンピックへの出場を目指し、1964年(昭和39年)早稲田大学に入学した。
当初、関西学院大学を目指していたが、同じ広島県出身で早稲田OBの小掛照二の勧誘により、進路を変更したという。
大学では競走部に所属、監督の中村清の指導を受ける。
東京オリンピックの400mと1600mリレーで強化選手に指名されたが代表選考会で敗退、失意の底にあった。
その矢先、組織委員会は聖火最終ランナーの地位を「広島への原爆投下の日」という象徴的な日に生まれた坂井に託した。
開会式当日、国立霞ヶ丘競技場の千駄ヶ谷門で前の区間を走った鈴木久美江(当時中学3年生)から聖火を受け取り、トラックを半周したあと聖火台までの階段を昇った。
10万713人目 のランナーであった。
この聖火リレーでトラックを走る坂井の姿がアメリカ最大のスポーツ雑誌スポーツ・イラストレイテッド誌 ……

坂井義則さんが亡くなってから、10年と72日が経ちました。(3725日)

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