岸田純之助 氏(きしだじゅんのすけ)
元朝日新聞社論説主幹[日本]
2012年 9月25日 死去肺炎享年93歳
岸田 純之助(きしだ じゅんのすけ、1920年3月22日 - 2012年9月25日)は、日本の科学ジャーナリスト。
経歴=
鳥取県出身。
東京帝国大学第一工学部卒業。
大日本帝国海軍で航空機設計に従事。
1946年朝日新聞社に入社。
『科学朝日』編集部員、論説委員を経て、1977年論説主幹。
1985年日本総合研究所 (財団法人) 会長。
1994年日本科学技術ジャーナリスト会議会長。
日本原子力文化振興財団監事、日本総合研究所名誉会長。
2012年9月25日、肺炎のために死去。
92歳没。
著書=
『新しい科学の話』(偕成社、絵とき百科) 1958
『新しい科学の話』(偕成社、絵ときシリーズ) 1963
『21世紀の夢』(国土社、みつばち図書館) 1959
『月着陸A-OK 見てきたアメリカ宇宙基地』(早川書房、ハヤカワ・ライブラリー) 1962
『宇宙にいどむ』(あかね書房、少年少女宇宙の科学) 1963
『科学と発明発見』(偕成社、目で見る児童百科) 1964
『科学と発明発見 現代の科学技術』(偕成社、小学生百科) 1968
『現代の戦争 新兵器競争から軍縮へのプログラム』(講談社、ブルーバックス) 1965
『核の周辺』(雪華社) 1967
『宇宙開発 宇宙空間への挑戦』(筑摩書房、筑摩総合大学) 1969
『技術 - その周辺』(日本経営出版会) 1969
『自主技術の開発 工学の新しい手法』(日本放送出版協会、NHK技術新時代) 1970
『情報化社会の生き方・考え方』(日本生産性本部) 1970
『技術文明の再点検 テクノロジー・アセスメント時 ……
岸田 純之助氏(きしだ・じゅんのすけ=元朝日新聞社論説主幹)9月25日、肺炎のため死去、92歳。葬儀は近親者で済ませた。 1985年に朝日新聞社を退社後、日本総合研究所会長や関西電力原子力安全システム研究所最高顧問、科学記者らでつくる日本科学技術ジャーナリスト会議会長などを務めた。
岸田純之助さんが亡くなってから、12年と57日が経ちました。(4440日)