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江崎孝坪(えざきこうへい)

日本画家[日本]

1963年 6月27日 死去享年60歳

江崎孝坪 - ウィキペディアより引用

江崎 孝坪(えざき こうへい、1904年6月15日 - 1963年6月27日)は、長野県上伊那郡高遠町(現・伊那市)出身の日本画家。
本名は江崎 孝平。
歴史人物画を得意とした。
生涯= 江崎が師事した前田青邨 1904年6月15日に長野県上伊那郡高遠町(現・伊那市)に生まれ、画家を志して15歳の時に東京に出た。
呉服商で図案を描いて生計を立て、日本画家の蔦谷龍岬[1]に大和絵を学んだ。
1927年(昭和2年)には第8回帝展で「晩秋」が初入選。
1933年(昭和8年)に龍岬が死去すると、今度は前田青邨に師事した。
1940年(昭和15年)に大礼記念京都美術館で開催された日本画大展覧会では、「雲と防人」が大毎・東日賞を受賞。
1941年(昭和16年)の第4回新文展では「撃て」が特選に選ばれた。
『薬師』を寄贈した建福寺 1947年(昭和22年)の第3回日展では「像造」が特選。
戦後には大仏次郎著『乞食大将』、吉川英治著『太閤記』、井上靖著『風と雲と砦』『真田軍記』『風林火山』に挿絵を描いたり、黒澤明監督の映画『七人の侍』で衣装考証を担当したり、歌舞伎「新忠臣蔵」で舞台装置を製作するなど、芸術界で幅広く活躍した。
『七人の侍』では1957年の第29回アカデミー賞で衣裳デザイン賞にノミネートされている。
1963年6月27日、目黒区の自宅で死去した。
死因は脳軟化症。
江崎家の菩提寺は高遠にある建福寺であり、1950年(昭和25年)に第6回日展に出品した『薬師』を寄贈している。
1992年4 ……

江崎孝坪が亡くなってから、61年と148日が経過しました。(22428日)

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