赤塚自得(あかつかじとく)
漆芸家[日本]
1936年 2月1日 死去享年66歳
赤塚 自得(あかつか じとく、1871年3月 - 1936年2月1日)は日本の漆芸家、専門は蒔絵、本名は平左衛門。
略歴=
東京市芝区浜松町、代々漆芸の家系に生まれる。
勧学義塾に学びながら狩野久信に日本画、蒔絵を師事、のち寺崎広業に師事し、白馬会で洋画も学ぶ。
作品の発表先を求めて1925年に金工家の香取秀真、陶芸家の板谷波山らと工芸済々会を結成。
1927年には第8回帝国美術院展覧会で漆工の審査委員を務め、1930年、帝国美術院会員となる。
伝統を踏まえながらも自らの創意で自然を描き、漆芸の近代化を進め、大正・昭和初期の漆芸界で指導的役割を果たした。
1936年、65歳で死去。
墓所は多磨霊園。
主な作品=
蓬莱山蒔絵硯箱(1918年作、東京国立博物館所蔵)
竹林図蒔絵硯箱及文台(大正期作、京都国立近代美術館所蔵)
菊蒔絵硯箱(1900年作、東京富士美術館所蔵)
牡丹花硯箱(年代不詳、東京芸術大学大学美術館所蔵)
金地蝶牡丹唐草蒔絵文庫(年代不詳、広島県立美術館所蔵)
赤塚自得が亡くなってから、88年と294日が経過しました。(32436日)