佐久間鉄園(さくまてつえん)
日本画家[日本]
1921年 4月25日 死去享年72歳
嘉永3年11月22日生まれ。生家は15代にわたって仙台藩に画師として仕えた家で、東北碩儒として聞こえた中祖佐久間洞巌などを輩出している。菊田伊洲は外祖父。幼時より祖父六所、父晴岳に北宗漢画を学び、あわせて漢学も学ぶ。新聞社の編集者や印刷業などを経て、40歳頃から創作活動を開始。明治30年より1年間中国を漫遊、帰国後「支那歴代名画論評」「鉄園画談」を刊行。日本美術協会で受賞を重ね、33年下条桂谷が審査長となって以後、下条門下の四天王の一人と称された。画論に通じ、若手作家に「芥子園画伝」などを講じた。40年文展開設に際し正派同志会結成に参加、幹事となる。日本美術協会顧問をつとめ、また43年より大正2年まで文展審査員を務めた。(参照元・日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」)
佐久間鉄園が亡くなってから、103年と210日が経過しました。(37831日)